2018年9月の投稿


尼崎の歴史物語 第5回「尼崎と近松門左衛門」

尼崎の歴史 尼崎と近松門左衛門

尼崎は東洋のシェイクスピアと呼ばれた近松門左衛門とゆかりがある町です。

近松門左衛門(1653~1724 /本名 杉森 重盛 )

越前藩士の杉森信義の次男として福井に生まれ、幼名を次郎吉といいました。
後に浄瑠璃、歌舞伎作者として活躍しました。宇治嘉太夫や竹本義太夫に浄瑠璃を、また坂田藤十郎には歌舞伎狂言を提供しました。宝永3年以降に大阪に移住し、ここ尼崎の地をしばしば訪れました。

享保9年(1724年)に亡くなりましたが、尼崎広済寺に葬られました。作品は100編を超えていますが、名作が多く、なかでも「曽根崎心中」「冥途の飛脚」「国性爺合戦」「心中天の網島」は傑作として特に有名です。近松門左衛門は世界に誇るべき日本最高の劇詩人といえます。

なぜ尼崎と近松なの?

近松門左衛門は、大阪に住んでいたころに、久々知の日蓮宗の広済寺を度々訪れています。寺本堂の裏には「近松部屋」と呼ばれる彼の仕事部屋があり、ここで執筆活動をしていたと伝えられています。

当時、広済寺は廃寺同然で近松は住職の日昌上人が寺を再興するに当たり尽力し、また母親の法要を広済寺にて行うなど、上人とも親交が深かったようです。

近松は、自らの墓をここに残しており、墓所は昭和41年9月に国定史跡となりました。
近松の墓所があるということで、広済寺には芸能関係者の参詣やゆかりの品の奉納がしばしばあります。また近松作品も初演当時とは姿を変えながらも尼崎をはじめ人々に親しまれ続けています。


9月度例会~南海トラフ地震ニ備エヨ~

【9月度例会〜南海トラフ地震ニ備エヨ】

今後起こりうる可能性のある災害発生時、自分が何をすべきか知り、リーダーとして行動出来るようになる為に、災害発生時のシュミレーションゲームを取り入れた例会を行いました。実際に災害に直面したときの優先順位や情報収集の重要性を学ぶことのできる例会でした。


尼崎の歴史物語 第4回「尼崎市の市外局番」

尼崎の歴史 尼崎市の市外局番

尼崎市の市外局番は06で大阪と同じとなっています。
兵庫県の他の自治体は07から始まる市外局番なのになぜ尼崎市だけ06なのでしょうか。
06になったのは尼崎市にあった世界最大級の紡績会社,尼崎紡績(現ユニチカ株式会社)が理由と言われています。
尼崎紡績の工場が建設されたのは1889年(明治22年)ですが,1893年(明治26年)に大阪電話交換局が開設された際に,尼崎紡績が費用を負担して大阪から尼崎市の工場まで電話線を引き,尼崎紡績に電話を通しました。

尼崎紡績が電話線を大阪電話交換局から尼崎市まで引いたことで,市外局番が大阪と同じ06になったということです。
尼崎紡績の本社事務所として用いられた建物は1900年(明治33年)に竣工しましたが,尼崎市に現存する最古の洋風建築として尼崎紡績の繁栄の歴史を今に伝えています。
本社事務所はユニチカ記念館として毎週水曜日に一般公開されており,尼崎市の建物としては最も早く兵庫県から景観形成重要建造物として指定されました。


9月21日 第5回異業種交流会

9月18日に第5回異業種交流会が都ホテルニューアルカイック3階鳳凰の間で開催されました。

第1部の講演の部では、南丹青年会議所のOBでもあり、スキー場を初めとして90箇所以上でリゾート事業を手がけておられる株式会社マックアース代表取締役CEOの一ノ本達己先輩から、経営者としての心構えやJCでの経験が社業にどのように役立つかなどを学びました。

第2部の懇親会では、沢山の見学者の方と現役メンバーやシニアクラブの先輩方が交流し、ざっくばらんに自身の仕事のことやJCの話などをすることができました。


9月11日 OB・現役ゴルフコンペ

9月11日 OB・現役合同ゴルフコンペが開催されました❗

偉大な先輩方と回らせていただき、現役は緊張しながらもそれぞれ多くの話をさせていただき、学びを得られ、楽しく参加させてもらえました❗

ありがとうございました。



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