尼崎の歴史物語 第6回「源義経ゆかりの地」

尼崎の歴史06

中尊寺金色堂をご存じの方は多いでしょう。東北地方一帯で栄華を誇った奥州藤原氏の象徴とも言える建物です。

建物の内外ほとんどが金箔に覆われたとても豪華な建物で、1951年に国宝建造物第1号に指定されています(2011年には「平泉の文化遺産」として世界遺産にも登録されています)。しかし、それほど反映していた奥州藤原氏も1189年に源頼朝によって滅ぼされてしまいます。
 

ここまで読んで、なぜ尼崎の歴史で奥州藤原氏が出てくるの?と疑問に思われた方は多いと思います。

尼崎の歴史で奥州藤原氏が出てくるのは、奥州藤原氏滅亡のきっかけとなる出来事がここ尼崎で起きたからです。
奥州藤原氏滅亡の直接のきっかけは、奥州藤原氏第三代秀衡が源義経を匿ったためであるとされています。

 
それでは義経はなぜ奥州の地に渡ったのでしょうか。

義経は、兄源頼朝と仲違いした後、九州に渡って頼朝に対抗しようとしました。義経は京都から西に向かい、大物まで来ました(位置は少し移されていますが義経弁慶隠家跡という碑が現在も大物主神社境内に残されています。)。

尼崎の義経弁慶隠家跡

 

ところが、現在の大物主神社のあたりから船で九州に向かおうと出向した際に、暴風雨に遭遇し堺に流れ着いてしまいます。

これによって義経は九州行きを断念し、奥州へ向かうことになります。
義経が暴風雨に遭遇せず九州に行くことができていたら、歴史は今と少し変わったものになっていたことでしょう。


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