尼崎の歴史

尼崎の歴史物語 第2回「弥生時代の巨大神殿」

180410尼崎の歴史02

 弥生時代の尼崎には当時日本差大規模の巨大神殿が建っていたかもしれません。

 この巨大神殿の痕跡が発見されたのは平成8年のことでした。平成7年1月17日に発生した阪神淡路大震災の復興事業に先立つ調査で、武庫庄(むこのしょう)遺跡から、直径50cmを越す柱や、80cm以上の巨木を使った棟持柱が発見されたのです。

 それまで、弥生時代における国内最大規模の建物は大阪府南部の池上・曽根遺跡の高床式建物であると考えられていました。

 ところが、この調査で発見された建物の柱の規模・柱の間隔等は、池上・曽根遺跡のそれをはるかに上回る規模の数値だったのです。

 この建物はその特殊な構造からすると祭式・儀礼に使われていた建物であった可能性が高いとされており、弥生時代の尼崎には当時日本最大の神殿が建っていた可能性があるのです。

 弥生時代の尼崎にはこのような巨大な建物を建てられるだけの権力が存在し、繁栄していたことになります。


尼崎の歴史物語 第1回「琴の浦の由来」

171121尼崎の歴史01

学問の神様として知られる菅原道真公は、早くからその才能を見込まれて出世しましたが他の貴族からの嫉妬も受けることとなり、901年(昌泰の変)により現在の福岡県にある太宰府(現在の福岡県太宰府市)に左遷されました。

道真公は、自宅の梅に別れを告げて舟で淀川を下り任地へと向かいましたが、道中で様々な足跡を残しています。大阪の淡路という地名は、当時中州だった淡路のあたりを見た道真公が淡路島と勘違いしたことに由来することはよく知られているとおりです。

淀川を下り瀬戸内海を出た道真公は、尼崎の沿岸をとおり、ある風景に感動し舟を止めて上陸されたそうです。「ここは殊のほかのよき浦なり松は琴柱の並びたるが如し」とおっしゃったそうです。2013年に開校した琴ノ浦高等学校は道真の故事に由来する校名です。
琴柱とはことじと読み、琴の胴の上に立てて弦を支える部分のことです。海岸に立ち並ぶ松を琴柱に見立てて賛美した道真公の洞察力は、まさに学問の神様と讃えるにふさわしいものです。

道真公もとおったように、尼崎は古くから交通の要衝として栄えており、その痕跡は弥生時代の遺跡から出土した遺物からも明らかとなっています。弥生時代の尼崎の姿は次回以降の更新でお伝えしたいと思います。